2010年11月30日火曜日

これもまた中東

予想はしていたが予想以上にドバイには衝撃を受けてしまった。
もし東京から直行でドバイに行っていたら、それほどの衝撃はなかったはずだと思うけど、1ヶ月、エジプト、ヨルダン、シリアを徘徊して、しかも直前は4,000年の歴史を持つダマスカスにいた私としては、たった10年でこんなことになっちゃった街とのギャップが激しすぎて、もーほんと、毎日なんか見る度に目ん玉むき出しすぎてコンタクトがずれまくって大変でした。
とってつけたようなビカビカな街が、砂漠のまんなかに、ぬわわぁっ、と立ち現れ、悪趣味な超高層ビル群の間をぶっとい幹線道路が悠々と通り抜ける。海には奇っ怪な埋め立て地と奇っ怪なホテル群。煌びやかな高級ファッションやら高級家電ショップやらがこぞって軒を連ねるショッピングモールたち。
毎日毎日むき出しの金銭欲、権力欲をいやっちゅうほどみせつけられる非常に有意義な毎日を過ごしています。
人間って、愚かだなあ!まったく!


右のにょきーってなってるやつが世界最大の高層ビル、バージュハリファ。

何度もすみません。何回みてもすごいので。近くで見るとこうです。
160階建て(!)828m(!)。

展望台から見るとこうです。

そしてなんかウソみたいな埋め立て地、The Palm。
ヤシのふさふさのところは、全戸プライベートビーチ付きの戸建て高級住宅街です。

大きな地図で見る

ドバイで世話になりまくっているあきちゃん夫婦に、車で2時間弱のアブダビにも連れて行ってもらう。最近できあがったばかりのビカビカのグランドモスク。でかっ。白っ。

青い空、真っ白いモスク。いや、正直、なかなかに美しいのである。

こちらがモスク内。世界最大のシャンデリア(笑)と、世界最大の一枚絨毯(笑)、だそうです。

こちらあきちゃん夫婦。うむ、日本人にしてはなかなの着こなしではありますが、、、(つーかモスクのレンタルです、すいません)

しかしほんものにはかなわぬでしょう。ショッピングモールの高級チョコレートショップでお買い物を楽しむリアルアラブ夫婦。ちなみに奥にちらっと見えているマダムが普段のあきちゃんです(笑)
女性のイスラム衣装、チャドルは、一見みんな同じようだがよく観察していると人によっておしゃれかそうでないかがだんだんわかってくる。特に他の中東諸国にくらべればUAE女子達の着こなしったら断然エレガントである。ちょっとしたシルエットのちがい、素材の違い、黒の深さ、袖や襟の装飾、サングラスやバッグなどで競って差をつけるのだ。


帰りは砂漠地帯のラクダ放牧地帯を通って帰りました。

おうちに帰って行くラクダたち。


リアル会話でもつい「ぱねー」を連発しちゃうドバイの日々ですが、ところでぱねーッてどういう意味?とあきちゃんに真顔でたずねられたよ。
(発音の仕方まで問うてくる念の入れよう。)


この国もまた、まぎれもなく中東の一面であるからして、せっかく中東あたりを旅されているバックパッカーの諸兄諸姉におかれましては物価が高いだのバカバカしいだのと敬遠せずに是非ともこの国を訪れていただくことを願ってやみません。


嗚呼、己の愚かさを知るのに人一人の人生は短すぎる。
そして世界は無意味だなあ、感無量。

2010年11月27日土曜日

すすすす、すごい、、、。ドバイ。。。。

例のアレ。うぎゃーっ!

ドバイではまた友だち(現地駐在日本人妻)のお世話になってます。
ああ、もつべきものは日本人妻な友達!
すごすぎる彼等がドバイの詳細についてはまた後日。

2010年11月26日金曜日

シリアの城

エジプト、ヨルダン、シリア、をまわって今ダマスカス空港。
これからドバイに向かうところ。

イスラム教が24時間365日、生活のすべてを支配している国々。
異教徒であり、女であり、酒飲みである私には、「めんどくさい」以外のなにものでもない国々ですがまぁそのめんどくささを味わいに来たんでしょうな、ここには。勉強んなります。

長旅を続けていると、今更腹の立つことなんてほとんどなくなるワヨ、なんて悟ったようなつもりでいたが、それでも中東に来て心底胸くそ悪い、とういことが3回あった。心底。
たぶん、アフリカにいけばもっとあるだろう(笑)
頑張ろ、、、あたし。。

しかしここいらへんの国々は物価が非常に安いし観光資源も豊富なので旅人がいーーっぱいいる。来る日も来る日もいろんな国の旅人と、すれ違う。
ロシア語ペラペラなアメリカ人夫婦、チュニジア人×スペイン人でドイツに住んでる日本のアニメ大好きカップル、南アフリカから北上して半年でここまでたどりついたカナダ人、泣きじゃくる幼子を相手にビーチでものすごいスパルタ水泳訓練を繰り広げるロシア人一家、アンマンでアラビア語を勉強しているイタリア人学生、カイロでアラビア語と国際政治を勉強しているアメリカ人(!)学生、お気に入りのBMWのバイクで中東とアジアをずっと旅しているオランダ人のおっさん、世界一周中のイタリア人×ブラジル人カップル、ムダに騒々しいトルコ人男子学生グループ、シンガポールの病院でつきあい始めた中国系オーストラリア人医者×シンガポール人看護婦のカップル、プログラミングの仕事を遠隔でしながら旅し続けているインド人、イタリア人バックパッカーという希有な生き物にも初めて遭遇。そしてたくさんのフランス人、韓国人、日本人。
これまでのアジア、ヨーロッパの旅の8ヶ月間、今まで一人もアメリカ人に出くわさなかったのだが、中東に来て、いきなりアメリカ人旅行者にたくさん出くわすようになった。エジプト、ヨルダン(そして行ってないけどたぶんイスラエル)にはアメリカ人の旅行者がうようよいる。ところがそれが、シリアに入ると突然また姿を消す。アメリカ人にとって、シリアは危ない国らしい。というかいけない国なのかも。イスラエルへの渡航歴があると、シリアには入国できないのだが、その関係でビザがとりにくいのかも。知らんけど。


えーと、、なんだっけ、あそそ、本日は、クラック・デ・シュバリエ(Krak des Chevaliers)にご案内いたしましょう。シリア西部にある十字軍の城です。


ラピュタのモデルになったという噂がある。
シータとパズーが龍の巣に突っ込んだ後、目が覚める場所。
あー、確かに、ぽいぽい!、とおもわずひとりごつ。



なだらかな丘が広がる。なかなかにいいところだ。


ぬぅ、これは、、、Tetris!しかもゲームオーバー!と一緒にいった女子がはしゃいでいた。


丘の上にそびえるこの城は遠景からみても美しく、いかにも「落とせなそー」な感じッス。これみてよ!→allabout

いい風が吹くんだよなぁ、この城。
あー、もっかい行きたいなあ、ココ。

しかし、なぜか庭で、あの、巨神兵の、あのうつろな、ぴ、ぽ、ぱ、というさびた電子音がほんとうに聞こえたような気がしたのだけど、誰かのいたずら?うーん、いや、誰もいなかったし。。うーん。。。。うーん。。。


シリアに行ったら絶対見ましょう、クラックデシュバリエ。超オススメ!

2010年11月24日水曜日

明日はドバイ。そのあとオマーン、そしてケープタウン。

ダマスカス、居心地よすぎてダラダラしてましたが明日からまた活発化します。

2010年11月17日水曜日

ダマスカス

ダマスカス(シリア)に到着。
あーもー国境超えるの超大変だった。
やんなっちゃう。いっぱい愚痴をいいたいけど、書くのがめんどうなのでやめ。
でもまぁなんとかダマスカスまでたどり着けてよかったー。

写真はダマスカスの旧市街。
ナイス天井じゃないですか。
ただの穴ぼこなんですけど、星みたいでステキだ。

2010年11月16日火曜日

ヨルダンは、アンマンにやってきました。
驚くことに、この街は遠目から見るとアテネに似ている。
丘がいくつもあって、その上に、ローマの遺跡。
ただし近くで見ると、カイロと同じようなカオティックなイスラム世界が広がっているんだけど。
しかしそれでもヨルダンは、エジプトよりはほんの少しだけ洗練されていて、なんつーか、気分がラクである。ほんの少しだけだけど。

先週はメッカの大巡礼ウィーク、今週は1週間の犠牲祭祝日で、中東らへんは大分盛り上がっているようですっていうかうるさいったらもー。今朝も「アッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバルアッラーフアクバル、、、」って朝の5時から1時間以上ずーっと拡声器の声が街中にがんがん響き渡っていたよ。とほほ。


アンマン第一印象。アテネみたーい!


あ、ちげ、やっぱりイスラム圏だった。


そんなん売れるの。


ゴミとがらくたの区別がつかないんすけど。




あ、ゴミじゃないんですか、あそーですかそーですか。


なかなかに味のある宿だった。


その赤いツマミはどうやってなんのタメに使うの。


ホンモスとフール(どちらも豆料理)の名店「ハーシェム」。ここのメニューはこれしかない。ナポリのピザ屋「ダ・ミケーレ」を思い出すなあ。マリナーラとマルゲリータしかないの。老舗で、「それしか」なくって、観光客で賑わいつつ地元に人にもこよなく愛される。


レバノンのラキア。ギリシャのウゾやらと同じアニス系のリキュール。水で割るとにごる。中東に来ても結局毎日ビール飲んでます。探せばあるんだよね、酒屋。


死海で浮いてみる。ものっすごい浮きます。水の上歩けちゃうんじゃないかってぐらい浮きます。


死海名物泥パック。


このあたりから、スーク(市場)の様子を。










スークの混沌で迷っているといきなりローマの遺跡が現れたりする。


ウィーンでも見かけたが、この辺の人も柿を食べるようだ。


ざくろもよく見かける。


いい感じの古本屋。


いい感じの玉子屋。


いい感じの肉屋。


と思ったらまたローマの遺跡。ん、ギリシャの遺跡かな?まぁ、どっちでもいいや。

そんな感じでアンマンでダラダラするの終了。



今日はこれからシリア、ダマスカスに移動します。祝日だけど、ちゃんとつけるかな、インシャーアッラー!

2010年11月13日土曜日

また壊れた

ハイライト中のハイライトを目前にして、またしてもカメラ(この旅で、3台目)が壊れたのである!!!
パウダーサンドがちょっとした風でパフっパフに巻き上げられる砂漠地帯。
何の前触れもなく、音も無く、静かにご臨終したパワーショット君。嗚呼。この先アタシ、どうすればいいんですか。


そんなわけで上記ご覧いただいておりますのはiPhone撮影によるヨルダンはペトラ。iPhone全くよく撮れるなあ。感心だ。

ペトラは例のこのファサードばかり有名だけど、ここは実は広大な遺跡群で、峡谷と砂漠と岩と遺跡が折り重なってとーーーってもドラマチックな絶景が次々と展開する何日歩いてもあきない場所なのだ。迷って砂漠でのたれ死なないように注意しましょう。

宿で出くわしたオーストラリア人のおっちゃんが、私が撮るよりもはるかに素晴らしい腕前の写真の数々をコピーさしてくれたんで、そのうちうpします!

2010年11月11日木曜日

内田光子

ウィーンに何しにいったかっていうとアーノンクール指揮でバッハのヨハネ受難曲を聴きに行ったんだけど、これはもう何ヶ月も前から予定していたので素晴らしい演奏であろうことは想像がつきすぎて逆に感動がなかったっちゃあなかったんだがそれでも見たことのないような古楽器がうようよ登場していておもしろかった。

それよりもラッキーだったのは、たまたま同じタイミングで内田光子のソロコンサートがあるのを発見してそれにも行けたこと。
ベートーベンと、シューマン。でも最後にアンコールでバッハのフランス組曲から1曲やったのだけど、それが一番超絶神がかっててすごかった。
内田光子はバッハをまだ録音していないので、内田光子のバッハが聴けるなんてとんでもなくラッキーなことと思うけど、とにかくもう恍惚となるようなすんばらしく優しい純金の細かいツブツブが大きく蓋をあけたピアノから静かに静かに撒き散らされているようなそんな演奏で、アレは私が知っているバッハの演奏の中でもNo.1だったかもしれない。なんて幸せな3分間だったことだったろう。楽友協会の悪趣味なキンキラが全くシャビーで可愛そうに思えてしまった。

ちなみに、これがそれです。フランス組曲、第5番、サラバンド。


しかしなんで内田光子、ベートーベンなんかやるんだろうね。。
ううむ、もっと知りたい、内田光子。

2010年11月9日火曜日

エジプトの青

エジプトの街の印象は中国と似ている。
街の汚さ、ほこりっぽさ、雑多でプラッチックな感じ、猛烈なトラフィックで道路を横切るのは命がけ、、、そんなところは中国ソックリで、歩いている人の顔と看板の文字を取っ替えたらすっかり中国と見間違えるだろう。
物価も相当に安い。
治安もけして悪くない。

ちょっと違うのは、中国はどこいっても爆発的な経済成長のエネルギーというかモリモリな野心を感じるんだが、エジプトにはどーにもそれがない。決定的にない。金よりもアッラーが大事。
10年たっても20年たっても30年たってもここン国はあまり変わっていないだろうなあという気がする。頼むよ、えじぷとぉ、と思うがまぁどなたさまもヨロシクやってるんだからそれでいいのかもしんない。

最初に入ったカイロから、夜行列車で一挙にアスワンまで南下。
鉄道のレベル感も中国に似ている。
さすがにこの車両(普通席)に夜行で乗る自信はなかったので、1等指定席を確保させていただきましたケド。

ここまでくると、中東というよりだいぶアフリカ感が出てくる。
アスワンのおっさん達。

美しいマーケット。

アスワンの街は夜もなかなかに味わい深い。
廃車。NYあたりの美術館にあってもよさそうな完璧な造形。

基本的に街は薄暗いので、窓の光がぽわっとしててとても画になります。

ちょっとシティオブゴッド的なにおい。
エジプト人たらこの淡いターコイズのペンキがやたら好きらしい。

アスワンから、ルクソールに移動。
長距離バスが立ち寄る休憩所。ここもその水色。

ルクソールの宿の窓から、となりの商店。
ここも同じ色。

ナイル川のほとり。

ハトシェプスト女王葬祭殿。
私、青く塗られた天井に星や月、というモチーフが大好きなんですケド(とくにモザイクだと萌える)、それってイスラムやキリストのものかと思っていたのだが、ルクソールに来て分かったんだが、3500年前からエジプトの美術にあるモチーフなのだ!
しかも見よ、この色、なんと3500年前からそのまま残っているオリジナルの色なんだそうだ。すげえ!(あまりに美しい色なので実は未だちょっと疑っているんだが)ブルーはラピスラズリからとっている色だそうだ。好きな石だ、ラピスラズリ。

ルクソールにある、王家の谷というファラオ達の墓場群を彩る壁画たちはそれはそれは圧巻なのだが、写真撮影が不可なので、お見せできるのはこのハトシェプストの壁画だけです。あぁ、ルクソールの美術は素晴らしかった。戻りたい。戻ろうか。いや暑いからやめておこう。

空の青が目にしみる。

ゴミ捨て場にいつもたかっている猫と山羊。たまに犬もやってきて、みんなで仲良くゴミを漁っている。

エジプトの田舎のほうでは、みんな自転車みたいにmyロバの背中に乗っている。そしてロバ君達はどこにいってもあーやだやだ、という顔で、でもしょうがなく働いている。私もロバが欲しくなっちゃったじゃんか。

玉子屋のおっさん。
「割らんといてや!」「おうまかしとけ!」。

おっさんとロバ。ほんま、アラブのおっさんたちは実に画になる。

ひるがえる洗濯物の白いドレス。

ぬあー。ロバ君。かわいい!でもまぁ頑張って働けよ!お前!

夜のルクソール神殿がまたバカバカしく巨大で華々しいので必見です。

そしてルクソールから、今度はシナイ半島に一挙に移動。
紅海沿いにぐるっとシナイ半島回り込んでダハブまで。バスで所要19時間!
道中、陸は、ひたすら過酷な岩&砂漠なんだが、その先にパッと青い海がいきなりひらくすげー不思議な光景なのだ。


海辺でだれるラクダ。働けよ、ごるぁ!

そしてシナイ半島のダハブ、という街までたどりつくとそこはもう、欧米人がうじゃうじゃいるダイビングリゾート。

ダハブの夕暮れ。
遠くに見えているのはモーセが十戒を授かったシナイ山(だと思う)。

ダハブがちょっとうざ気味なので北に2時間ほど移動して、なんとかかんとかっていう村へ。
ここまでくると、対岸に、サウジアラビア、ヨルダン、イスラエル、すべて見えるのだ。わずか15kmほどの距離の間に、エジプト含め4つの国が接岸し、ひしめき合っているという不思議な湾岸エリア。(見えますかね、むこうにうっすらアラビア半島)

このビーチのこの掘っ立て小屋で一夜明かしたが猛烈な蚊の大群におそわれてえらい目にあった。

紅海は、タイの海とエーゲ海の中間ぐらいの味わいだろうか。
深みに目をやると吸い込まれそうな青なのに(エーゲ海)、リーフにはアホほど熱帯魚がうようよ(タイ)います。
もうちょっとこの人気のないビーチでのんびりしようと思いましたが、あまりにも蚊の気が多くて、疲れ果てちゃったのでもうヨルダンに渡っちゃいました。これ、ヨルダンのお金。アラビア文字で、1/2、1/4、と書いてあるのです。それぞれ、0.5ヨルダンディナール(≒50円)、0.25ヨルダンディナール(≒25円)、わっかりにきーっつーの!

街の壁の青、ラピスラズリの青、海の青、、、青が美しいエジプトであった。
さ、あしたはペトラだ。観光だ観光だ!