香港の人々
中国ラオスの辺境どさまわりに慣れきっていた後の香港にはいやぁ、驚いた。
インフラは万全だし、レストラン、バーなどあらゆる類の食べ物があるし、ブランドショップがわんさか入ったデパートが腐るほどあるし、物価がいちいちバカ高いし、、、居心地が東京に似ているんだもの。
たまに東京にいるような錯覚をおぼえてつい口から日本語がでてしまったりする。
街で人にぶつかったとき、「あごめんなさい」とか、店員を呼ぶときつい「すぅぃませ~ん」とか言ってもーたりして。
けっこうなキャストのクラシックのコンサートがちょいちょい開かれているっていうのもなんかホッとする感じです。もちろん内容の幅広さと深さにおいては東京には及びもつかないけども。
中国・ラオスの長時間移動のバス車中で、やたらにやかましい乗客たちに対向するべく、なるべくけたたましくノリノリなものを、という選曲で、ずーっと聴きこんでいた(air pianoで)チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が、ちょうど偶然にも香港到着の翌日に地元のオケによって演奏されるということで、さっそく出かけたのだけど、演奏前あのチューニング、A~~~、を聞いただけでもうそれだけであたしゃ感動で泣きそうになったよ。すーーーっげー久しぶりに生音聞いたからなあ。
ソリストは1990年だかのチャイコフスキーコンクールの覇者でロシアンピアニズムバリバリのなんとかっていう人で、ものすごいテクニックでかなりおもしろかった。
指揮は小柄な若手の香港人。28歳にして世界中のあちこちのオケを振っている天才のようです。
さて香港では重慶大厦(ちょんきんまんしょん)というところに滞在していたのだけど、この宿がすごいおもしろくて、東京並に宿泊代がお高い香港における奇跡の砦のようなところなのだ。
街のど真ん中、しかも香港における名門中の名門ホテル、ペニンシュラの向かいに立つビルなのだけど、このビルの中に、何百という安宿がより集まっているという、何がどうなってそうなってるんだかさっぱりワケの分からん空間である。
インド、アフリカ、中東系ピープルのコミュニティにもなっていてり、もちろん各種アジア人もぞろぞろ、欧米のバックパッカーもうようよ、、、というようなだいぶものすごい勢いでケイオスな空間。
いかがわしいお店や怪しいお店(同義かw)、おいしいインド料理店もいくつも入っていて、宿泊目的以外で地元の香港人もやってくる、香港の名所でもあります。
私が滞在したのは、15階のとあるゲストハウス。
貫禄たっぷりの女ボスはいろいろ細かく気配りしてくれるし、スタッフのおねぇちゃん(リサ)はぶっきらぼうだけど掃除も丁寧、客の要望にはめんどくさそうな顔をしながらも結局きっちり付き合ってくれる。
部屋はとーーっても狭いのだけど、その狭さが幸いして、旅始まって以来、毎晩非常によく眠れました。
じつは私、どこにいっても、暗闇やドアの向こうや鏡の中やカーテンの裏などの物陰に潜む魑魅魍魎がおそろしくって、知らない場所で一人ではよく眠れないたちなのぉっほっほ(だからどこに行っても明かりはつけたままで就寝)。
その点、重慶大厦の部屋は狭すぎて物陰といえるようなものがほとんど無いわけであるからして、安心して毎日ぐぅぐぅ眠ることができました(でもやっぱり明かりはつけたまま(笑))。
安くて居心地の良い上層階に位置するこの宿はなんだか長期滞在者(何ヶ月もいてるのよ)が多くて、彼らと女ボス、リサ、とのやり取りを見るに、どうも宿というよりも学生寮(だいぶ老けた学生たちだが)もしくは長屋、という感じのあったかい雰囲気。
そんな以下重慶の住人達↓(ラオスで実はデジカメを無くしてしまって相変わらずぐでぐでなiPhone写真ですいません)
これはへんちくりんな英語がもの真似しやすいフィリピン人のおっちゃん。
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