2017年4月19日水曜日

グローバル社会と方言とアイデンティティ

雑な考えを雑に書き散らすので間違っていることもいっぱいあるかもしれないし後で書き直すかもしれないけどとりあえず今日のステイタスを書きなぐってみる。


ノルウェー語を学んでいて驚いたことの1つに、ノルウェー国内では方言がかなり守れていて、たとえ首都オスロに住んでいようと、若い人も各々出身地の方言をそのまま臆することなく使っていること。
社会全体の共通認識として「方言で話すことは大事なことだ」という認識というかほとんど潜在意識としてそう思っているし、そういうノルウェー社会であることに誇りをもっているのがノルウェー人でもある。
田舎だからとか都会だからとかで序列の意識もあまりないのがすごいところである。(いじり材料にはつかったりするがむしろフラットだからこそ堂々といじるという感じ)

ノルウェーもスウェーデンもデンマークも行ったり来たり入り乱れたりしながらいっしょくたな感じでやってきた長い歴史だが、しっかりノルウェーという独立した国になり、言語も似たりよったりしていたけれども特別に「ノルウェー語」を決めたりした近代の政策を見ても、言語の制定がノルウェーアイデンティティを作るために重要だからだったんだろうし国民が「ノルウェー国」のアイデンティティを持つのは統治に必要なあたりまえのことだろう。そしてアイデンティティを作る重要な要素はやはり言語だろう。
(ちなみにこないだスウェーデンでテロがあった時にノルウェーテレビ局のアナウンサーがスウェーデン人にインタビューしていたが、ノルウェー人アナウンサーはノルウェー語で質問しスウェーデン人はスウェーデン語で答えていた。ちなみにちなみにノルウェーテレビのアナウンサーはそれそれ自分の方言でそのままテレビでしゃべっているらしい。)

こんなにグダグダ言わなくても言語は強く自分のアイデンティティと関わるのは誰も疑わないことだと思うけどもたとえばイスラエル人などと話しているとヘブライ語について質問したらそれこそ目を輝かせてその歴史を説明してくれる。いったん死後となった古い聖書の言葉を近代になって復活させている。(言語は根性!)

10カ国も20カ国もの出自のクラスメイトたちが毎日毎日同じメンツで授業を受ける私のいるクラスで、自らをノルウェー社会にインテグレートしていくことと、出自に関してきちんと語れることの両輪が互いのレスペクト度合いに関係してくるような気も、実感として、する。

日本人は標準語を教育されるがそれは第二次世界大戦で全国から集められた兵隊さんたちが意思疎通できるようにするためと聞いたことがある。

戦争はもう終わっているから、今度は逆に、方言は守らないといけないものだという教育をしたほうがいいんじゃないかと思うんだがどうだろう。(ひょっとして最近の国語教育ではそういうこともやっているんだろうか?)ただしこのテーマは、自分自身もあまり考えてこなかったことだから、これからちゃんと勉強しなければいけない。しよう。

いろんなことがどんどん画一化されていって同じようなものばっかりになるとやはり「つまらない」。それだけで、方言を守っていく理由にはなると思う。

日本が自らを皮肉って使う現代語「ガラパゴス」。
小沢健二が「ガラパゴス」って素敵じゃないか、と言っていたと何かの記事で呼んで「バチン」と膝を打ってしまった。

ところで日本人の方言に対する意識は非常に歪んでいると思う。

地方出身者は東京で田舎者だと思われたくないので方言で話さない。
大阪出身で東京に住んでいる人は、大阪弁をプライドを持って使い続ける人と、東京出身者にいちいちいじられるのがめんどうで(想像)標準語的にしてしまう人といる。
たまに東京人で、関西弁を使い続ける東京在住の関西人に、「うざい」という感情を持つ人がいるが、そういう人はアイデンティティと言語についてどういう考えを持っているんだろうか。教養と深い思慮が足りないのでは(お前に言われたくないよ的な感じかもだけどさ)。

そんなこと言っておきながらもオスロに住んでいたって、日本人と話す時に、阿波弁でしゃべれていない私はいったい何なんだろうか。
最近は気をつけて努力しているんだがついついみんなが分かる言葉でしゃべってしまう。
阿波弁はちょい恥ずかしいなと思っている自分を否めないし、まず恥ずかしいと思う気持ちをどうやってぬぐいさることができるのかがわかっていない。下卑ている自分が二重に恥ずかしい。

私含め、この日本人の方言に対する歪んだ気持ちは、田舎と都会の序列が強く存在する日本ならではのメンタリティなんじゃないかと思う(ヨソの国にも同じようなことはあるだろうけども、ノルウェーにはないということが言いたい)。これは軽く人権問題でもあるような気がする。人権問題はときに不益をこうむっている当事者が無自覚であることが最大の敵かもしれない。日本社会の男女不平等についても同じことがいえると思う。

あとアイデンティティはやはり言語に非常に依拠していると思うので、大臣ポストができるほどに地方創生とかが大事だと言うなら、方言に関する認識の教育と、方言自体の教育は必須なんじゃないかとか思う。
もうそういう議論はとっくにあるんだろうかね。。

ちなみにUNESCOの消滅危機のある言語についてのアラートはこちら
http://www.unesco.org/languages-atlas/index.php?hl=en&page=atlasmap

こないだ宮城県登米市で地元のおっさんに話しかけられ、固有名詞以外1つも理解できなかったことに激しい衝撃を覚えつつも、この理解出来ない文化への愛おしさを強く感じた私はやはり歳をとったのかしらね。。

書きなぐってとりとめもないけども今日考えたことでした。
必読文献などご存じの方はぜひご教示ください!